第3回;「アウトプットの必要性」

前回も書いたんですが、
最近、抜け毛と共に、ボケが激しくなってきました。

足早に秋になったため、寒さが頭に染みます。。(  ´・ω・)━━(  ´・ω)━━

それでは本題に入りまして、
私はこれまで、アウトプットを全くせず、
インプットの量だけを重視して過ごしてきました。

常に何かの情報に触れようと、
本を読み漁ったり、
オーディオブックを聞いたり、
ラジオを聞いたり、
動画を見たりしていました。
「常に」というくらいなので、本当に四六時中です。
仕事中、帰宅してご飯を食べている時、
お風呂に入っている時などなど、、
その時々にできる最適な情報取得ツールを駆使して、
興味がある情報をかき集めて、悦に浸っていました。

しかしながら、
去年の秋に、愕然としました。
本の表紙を見て、「この本を読んだ」という事実は覚えているのに、
内容については何一つ覚えていないのです。
誰かに「この本の趣旨を説明しろ」と言われたら、
「多分、自己啓発の本だったと思う。」ぐらいしか説明できないのです。。(T-T) ウルウル

一方、10年くらい前に読んだ、くだらない小説については、
なぜか登場人物を含め具体的に説明ができるのです。

両者のちがいは、本の批評を書いたか否かによるものでした。
小説については、mixiに、”概要+つまらないから読むに値しないみたいな辛辣なこと”
を書いていました。

この出来事から、遅まきながらアウトプットの必要性に気づきました。

前職で情報システム関係の仕事をしていたとき、
むさぼるようにプログラミングの参考書を読んでいました。

それは、仕事で必要にかられたことと、
同僚と楽しく情報共有したかったからです。

結果的に、それらが私にとって良質なアウトプットとなり、
自分の知識の定着に多大な影響を与えました。

これらのことから言えることは、
アウトプットを前提にしない知識は身につかないということです。
アウトプットなきインプットは、無意味とは言いませんが、
効率が著しく乏しく、時間を浪費していると言えます。

今後は、何を目的として、インプットするのか?という問いを、
必ず自分の中には持つようにしようと決めました。

さらに、アウトプットすると起きるポジティブな点が2つあります。
・自分独自の解を見つけることができる
・継続するためのモチベーションを保つことができること

まず、自分独自の解を見つけることができるという点について、
一つの物事を人に説明するときは、自分なりにその物事を噛み砕いて理解せねば、
相手に伝えることはできません。
噛み砕くということは、因数分解をして、
自分なりの解を見つけるということに等しいといえます。
その解は間違えていても問題なく、
新しい解を得ることができればアップデートすればいいだけのことです。
尚良いことは、アップデートするときに他の人はどのような因数分解をしたのか、
自分と比べることができます。自分の解に固執することなく因数分解をするという作業は、
それ自体に意味があり、自分の思考に広がりを持たせてくれます。

次に、継続するためのモチベーションを保つことができるという点について、
アウトプットすることにより、何らかの成果物が生まれて、
記録として残ります。
その記録は、自分が生み出したという実感をもたらし、
自信となり、次への燃料となります。
”脳の中にある記憶”というものは、実感を呼び起こして、
自信に繋げるために、効率が悪いものが大半だと思います。
”実際に自分で生み出した記録”を、五感で何度も感じることにより、
確固たる自信を築くことができます。
これが継続するための、一つの手段になると私は思います。

文章が長くなり、申し訳ありません。
言いたいことは一つ。アウトプットしようよぉー!!!o(*^▽^*)o~♪

それでは、また次回、お会いできることを楽しみにしております。
(*- -)(*_ _)ペコリ